三菱自動車って 何様?

<三菱自動車>欠陥隠しで有罪へ 元会長は不満あらわに
これに比べて 現トヨタ社長はがんばってると思いますよ。奥田時代のトヨタは最低でしたが、この三菱自動車の社長も いったいどういう人物?人の命を奪った責任の大きさを微塵も感じない図太さ。
こういうタイプの大企業経営者が本当に多かったと思います。そして この有様なんでしょう。
もう少し 謙虚に商売してほしいし 人の命を奪う可能性のある危険な機械を販売している責任を感じながら任務に当たってもらいたいものだ。自動車の時代が終焉に向かうのも この経営陣を見ていれば必然かもしれません。結局 超高性能電動自転車見たいな新しい乗り物に 落着くのかな?

事故から8年。死亡した岡本紫穂さん(当時29歳)の母、増田陽子さん(60)は「本当に長かった。車は人が命を預ける大切なもの。ずさんな車を造った責任を受け止めてほしい」と語った。1審の途中の04年秋から傍聴した。「被告らは『何も関係ない』という顔だった。いまだに謝罪もない。あの子は帰ってこないのに有罪が確定しても被告は大手を振って歩ける」と憤りを隠さない。
事故現場を車で通る時、今も心の中で手を合わせる。指には事故の2年前、紫穂さんからもらった指輪。「着けていると、いつでもそばにいると感じる」。12日、裁判結果を墓前に報告するという。
一方、宇佐美被告は「到底納得できない」とする談話を、三菱自は「今後もコンプライアンス(法令順守)の徹底に取り組む」とのコメントを発表した。

宇佐美 隆(うさみ たかし)
三菱ふそう前会長・宇佐美隆

超名門一家に育ったゴーマン男

●キラ星のごとき親類縁者
「本件は空中楼閣である」――。9月1日の初公判でこう言い放った宇佐美隆(64)。三菱ふそうトラック・バスの前会長であり、三菱自動車ハブ破損事件の主犯だ。欠陥車を売りながら事故が起きると国交省に虚偽報告してきた人物。公判では、そのあまりにも悪質な隠蔽工作が問われている。
 にもかかわらず、当人は、「報告は虚偽ではない。当時の技術的知見を前提にした適切な措置」といまだに主張し、問題の「ハブ」の強度が不足しているとの認識もなかったと言い張る始末。欠陥車で何人も死者まで出した張本人でありながら、この言い草なのだ。
 宇佐美は1940年7月20日東京生まれ。名門宇佐美家の一員だ。祖父は朝鮮総督府内務部長や東京府知事などを歴任した貴族院議員の勝夫氏。息子たちのうち、長男は夭(逝(ようせい)したが、二男の洵氏は三菱銀行頭取から第21代日銀総裁に上り詰めた。山一証券危機の日銀特融は有名だが、実は三菱銀行時代に創価学会の預金を獲得した“功労者”とされる。宇佐美本人の伯父にあたり、ちなみにもう一人の伯父、三男の毅氏は元宮内庁長官。宇佐美自身の父親は洵、毅両氏の弟、宏氏だ。

●家長に薦められた三菱入り
 1963年、慶大工学部機械工学科を卒業後に三菱自動車の前身である三菱日本重工に入社。「血統書つきの三菱紳士」と呼ばれた宇佐美家の長兄、洵氏の薦めだった。
「宇佐美さんは宇佐美家初の技術者として期待されたらしい。そこで洵氏から“(就職は)三菱日本重工しかだめだ”と言われたそうです」(事情通)
 エリート意識の高い宇佐美家では、その分結束も固い。長兄の伯父の言葉は絶対だったらしい。
「三菱は工場が東京近郊にあり、宇佐美家では“東京を離れることを許さない”と言われ、入社を決めたそうです」(同)
 入社後は技術部実験課へ配属され、もっぱら技術畑を歩んできた。トラック・バス部門のエンジン研究や設備導入で実績を積み上げてきたとされる。が、やがて生来の傲慢(ごうまん)さが顔を出す。

●机に足上げて「バカヤロー」
「93年に予算管理の責任者になった彼は、ことあるごとに現場の技術者の提案にイチャモンをつけるようになった。会議中に机の上に足を投げ出し、“そんなことできねえよ”と威張る。予算を削ることばかりで、当時の開発本部長派と派閥抗争を繰り広げたという。が、彼は毛並みの良さで勝ち残り、役員になったのです」(三菱関係者)
 98年、常務に就任。イエスマンばかりを重用し、ますます専横ぶりが目立つようになる。4年前の副社長就任後には、リコール隠しが発覚したが、
「社内の説明会で質問した社員に“バカヤロー、そんなこと自分の頭で考えろ”と開き直る始末でした」(同三菱関係者)
 あげく今回の事件。裁判所を小バカにした公判の態度も、むべなるかな、である。

とんでもない男のようです。
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by kibounomirai | 2010-03-11 23:58
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